「艱難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生み出すことを知っているからです」
(ロマ書五章三〜四)
この聖句を引用して、昨秋のソウルでの合同修養会の最後の挨拶を終えたとき、当然、私の念頭には今度の「東日本大震災」と「福島第一原発事故による放射能禍」は、全くなかった。ただ三〇有余年、姉妹関係を続けてきたソウルチェイル教会と西片町教会とが、益々協力し合って東アジアの平和実現のために努力するとき、起こり得る困難な状況を予想して述べたに過ぎなかった。しかし現在、私たちは想定外、いや想定外以上の大災害の中を生きている。国内では、一般的にはコントロールされた情報しかないが、国外からのニュースでは、客観的に、現実はより重大な事態であると伝えている。正に私たちはいま「神なき世界」、人間的にいえば「限りなく不条理な世界」の中を生きているのだと思う。この状況を冷静に受け入れ、新たな思いで復興へ歩み出そうとするとき、改めて冒頭の聖句を心に刻む。これらのみ言葉をつらぬく強い力は、十字架によって示された復活のみ力である。このみ力を祈り求めて励む復興が、単に伝統的な古いものの再生ではなく、東アジアの平和を築く新しい礎になるものであることを望む。