本当に遠い昔のちょっとしたことに、あとで考えると大変重い問題がひそんでいたと気づく場合がある。少年時代の一時期、結婚した姉一家と暮らしていたが、中国での徐州作戦に従軍した義兄のところに、ある夜、Sという戦友のひとりが訪ねてきた。温厚で物静かな方だったが、火鉢の灰をかきならしながら、彼はふとうめくように呟いた。「作戦中のこととはいえ、ある村で戦闘には全く関係ない、自分の母親のような老婆を高い崖から蹴落として殺してしまった。そのことを思い出して、夜中に布団から起き上がり、どうにもよく眠れないときがある」
当時の「勝った!勝った!皇軍大勝利!」という新聞の大きな文字に興奮していた少年の私は、一瞬深いおどろきと強い違和感を覚えた。私たちは敗戦後、長く隠されていた中国大陸での日本軍兵士による残虐行為を数多く知ったがそうした行為を実際にした兵士の中にSもいたのだ。個人としては恐らく家族を愛し、家庭を大切にする善良な市民である彼。その同じ彼に残虐行為を犯させたものは何か。「戦争」という国家的集団暴力行為に巻き込み、戦うためには人間的倫理感も失わせてしまったもの。私たちは、倫理的人間であり続けるためにも「九条」を護り続けるのだ。(記憶する鈴木正久牧師説教より)