戦争前のこと、孫娘の嫁入りのために、九州のおばあさんが谷中の家に来ました。結婚式が終って四・五日後、孫娘の千駄木の新居に、お土産を手にひとりで行くことになりました。近いけれど心配で、地図で道順を教えようとしましたが「一度行ったけん、知っとる、知っとる」と昼過ぎ元気に出かけて行きました。
そのおばあさんが夜九時近く、持った土産もそのままに芯から疲れ切った表情で帰って来た時には、本当におどろきました。やはり道に迷ったのです。
普通の家庭にはまだ電話がない頃で、話によると、家を出て七面坂を下り、萩寺の前を通り、三崎坂を下るのを、どうしたのか、上ってしまったらしいのです。上野桜木町、鴬谷、入谷、根岸。気丈で足が丈夫な人ですから「まだか、まだか」と思いつつ、下日暮里を経て、三河島駅近くまで行ってしまったのです。目標の団子坂の都電通りを目指したのに、いくら行っても、知っている都電通りにならないのには、さすがに心細く、哀しかったとのことでした。
「日は暮るるし、こげん知らん街や、知らん顔の人ばかりじゃ、どんこんならんけん、汽車の駅ば探して、このままま九州に帰らじゃこてと、つくづく思うたたい」。知らない街を、懸命に歩き続けたおばあさんの思いを想像すると、いまでも胸が熱くなります。