頭の白髪が多くなった妹の述懐。「無事に成人式を迎えた孫娘が楽しそうに過ごす様子を見ていると、私の少女時代って、何だったんだろうと思う。女学校二年生の春、いつも都電で一緒に通学していた近所の友人が『ではまた、さようなら』と別れた土曜日の翌々日の月曜日、早朝の空襲で偶然、家族とは別に入った防空壕に爆弾が直撃。窒息死のため近所の小学校講堂に収容された顔は、本当にきれいだったと後で聞いた。私が『花柳病』をハナヤナギ病と読んだら、『それは違う』と笑って教えてくれたりした、少し大人っぽい、でも、おとなしく静かな人だった。
敗戦の年の冬、疎開して通っていた九州の女学校に旧満州から兄妹二人で引き上げてきた生徒が入学してきた。戦乱で両親はすでに亡く、粗末な姿ながら言葉や振舞いに気品を感じさせる彼女だったが、ある厳しい寒さの朝、西鉄急行のレールの上に正座して自殺を遂げた。友人代表で、橋の下の小屋に弔問に行ったが、この友たちを思い出す度に、生き残って一所懸命生きてきた私自身、時折、本当に深く虚しい気分に落ち入った当時の国や社会の事情は、いろいろあったとしても、もう絶対、戦争はしてはならない孫たちやみなが幸せに暮らしていくために」。