無言の「志」

 あるとき、いろいろな困難な状況に耐えてがんばっている若者を訪ね、帰り際にそっと座布団の下に何がしかのものを置いてきた記憶がある。どれほどの役に立ったか分からないが、その後会ったときの彼の表情からは、その金額よりもこちらの気持を受けとって、喜んでくれているのが感じられ、本当にうれしかった。

 いまからちょうど五〇年前、立場を逆にした経験を私はした。障害者の私を一生面倒みるつもりで、東京に呼んでくれた姉の家を強引に母と共に出た私は、すぐに経済的に行き詰まってしまった。職を得ようにも障害者でなんの技術もない。客観的条件からいえば、最悪であったと思う。そのような時、狭い間借りの一室に母の女学校時代の友人であるひとりの夫人が訪ねて来た。偶然、母も外出していて、予告なしの来訪に私はすっかり慌て緊張した。問われるままに近況の二、三を答えているうちに私は、望みと違う現実を生きる全く無力な自分自身の姿を覚え、客の前で思わず落涙した。間もなく客は去り、座布団の下の無言の「志」を発見する。母と共に感謝の思いを持ちながらも、当時の私の心境は複雑で、ひたすら自己否定の青い炎を燃やしていた。その私が、この思い出を、いま、書いている。

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