母の遺墨『正信 』

 最近、引き出しの底から、思いがけなく古い母の遺墨を見つけた。粗末な紙に書いた「正信偈」の一部である。脇にある日付によると、私が教会に通い出す遥か前のことであった。「極重悪人唯稱佛/我亦在彼摂取中/煩悩障眼雖不見/大悲无倦常照我」(ただひたすら佛の名を稱えれば、悪人の私も佛の手の中にある。罪深い目には見えなくても常に慈悲の光は、私を照らしてやまない)倉田百三の「出家とその弟子」の冒頭にも掲げられているこの文字をどのような思いで母が書いたのか、現在は聞く由もないが、多難な往時を思い起こせば惻々として胸を打つ。

 この親鸞の「絶対他力本願」の教理を知って、殆ど文化的交渉のない時代の日本に、こんなにもキリスト教の福音理解に近い信仰がすでにあったのかと、おどろいた現代の神学者がいた。確かに、この「佛」の文字を「キリスト」に置き換えれば、いま私たちが聞く福音の教えと寸分の違いもない。ただ不条理な人生を負う若い魂は、一つの宗教的理想ともいうべき「佛」の境地を憧れ求めるよりも、十字架の死と復活をもって示された絶対的な神の愛に聞き従うことを願った。そして、その愛の光に導き出された者として日々、深く混沌とした社会を生き続けている。

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