川柳の一太刀

 下手の横好きの一つ、時々川柳をひねっては、腹ふくるる思いを発散させている。他人様の鋭い鑑賞眼を意識すると、途端にヘナヘナと萎える程度の、か弱い川柳魂だから、専ら自己満足の遊びとして楽しんでいるに過ぎない。

 先年の正月、愚妻の干支『亥(いのしし)』に因んで、よどみなく一句をものした。
「麒麟吾れ猪突の妻と豚児持ち」
屠蘇の酔いを借りた意気軒昂たる、精気溢れる生涯の傑作である。愚妻はそれを教会の歓談の折、座興に披露した。同信の兄姉が当然(同感)の微笑を交わしてくださった(と思った)。

 しかし数日後、敬愛するK婦人が教会の玄関先で、「先日の貴方の川柳に、返句することを思い立った」と一句伝えられた。
「トンビ吾れ鷹の子どもと鶴の妻」
思いがけない、見事な一太刀に、一瞬、不覚にもそこに立ち尽くした。その句を伝え聞いた愚妻は「よ
くぞ作ってくださった」といたく感激、機会ある毎に、猪突が鶴に、豚児が鷹の子どもに変えられた喜びを語ってやまない。

 ここに至って、麒麟がトンビに変えられた者は、切に祈っている。「オー、神さま!おのれ自身がいま、何を喜びはしゃいでいるのか、分からない者に自分自身を正しく理解する智恵をお恵みください」。

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