本当の教育とは?

 幼いときの自分には、自分自身がどんな人間なのか、よく分っていない。私は子どものとき、自分が障害児とは思っていなかった。育ち盛りの幼児期を東京・谷中墓地に近い古い町で過ごしたが、近所の遊び友達は分け隔てなく仲間に入れてくれていた。かけっこするときは、私にはみなのゴールの電柱より半分以上近いところにある門柱をゴールと決めて、参加させた。不自由な足をひきずりながら、必死に走ったときの興奮した記憶がいまだに残っている。天気がいいのに、長靴をはいている私を、隣り町の子がからかうと、ムキになって口ゲンカしてくれた。

 そんな子どもの私が、否応なく自分が障害児であると自覚させられるときが、学齢期になってやってくる。遊び友達の仲間が新しいランドセルを背負って登校する姿を、朝の窓から見たときの幼い心に刻んだ強烈な疎外感を忘れない。あとで聞いて知ったのだが、地域の小学校の校長が「せっかく、これまで素直によく育てられてきたのに、普通校に入学して、ほかの生徒たちが自由にできる運動などが自分
にはできないことでひねくれてしまうことは、教育上残念なことだから」との理由を述べ、「就学猶予」にしたとのことである。本当の教育とはどういうことなのか。

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