野次馬根性の功罪

 気分が向くと、私は年賀状に遊び心で時折下手な川柳・狂歌まがいを書き、正月の座興に提供している。いつだったか「金もなく地位も名誉もなき我に残れる宝野次馬根性」と書いた。どこからも何の反応もなかったが、自分では率直な思いを吐露した自信作として満足している。年をとってすべてがだんだん衰えていくなかで、せめて残った野次馬根性を支えに元気を保っている現実。誰から頼まれた訳でもないのに、多くのことに関心を持ち、原因や経過を追いかけてゆく執念。もとより一知半解、浅薄な理解でしかないとしても、その根性が生きる力なのだ。

 リーマンショックのとき、当然なぜこんなことが起こったのかと大いに強い関心を持った。なかなか難解な「金融工学」を駆使して砂上の楼閣を築き、強欲に莫大な利益を追求した挙げ句の破綻。昔であったら、ごく一部の巨大企業や資本家の仕業と批判できたのだが、その原資の中に「年金基金機構」などの名を見ると、なけなしの年金を出してきた者には何か自縄自縛の思いがする。「要するに、リーマンショックはみなが必要以上に預貯金して来たことが、破綻の根本的原因だ」と叫んだら、「うちは全く関係ありません」という明快な妻の答えが返ってきた。

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