ノスタルジーの念仏

 ある牧師さんが臨終に際して「ナムアミダブツ」とウワゴトのように呟いた話を聞いて、思わず私もヒトゴトではないと思った。それこそ、一九四五年三月一〇日の東京大空襲の夜、落下する焼夷弾、燃えさかる炎の音に恐怖のあまり、防空壕の中で慄えながら意味も分らず念仏を唱えた少年のときの恐怖を、私はなお皮膚感覚に残している。それだけに深い記憶の層に刻み込まれた念仏の言葉が意識朦朧のイマワの際に、私も突然、出て来ないとは限らない。しかしだから、その後の五〇年余のキリスト教による信仰生活は、ただ頭の上だけのものだったということなのか。荒廃した敗戦後の日本の社会で生きていくことは、誰にとっても容易なことではなかった。特に私の場合、「身体障害者」というハンディを負っているだけに、なおさらに厳しいものであったのは言うまでもない。その冷厳な現実を冷静に受入れ、自分自身の存在を肯定するには、己れが持つ理性や意志だけでは、あまりにも弱くもろいと自覚したとき、私はキリストの教えに触れた。だから、私にとってのキリストの教えは、先ず、存在の肯定であり、人生への励ましであり、明日への希望である。イマワの際の念仏は、生い立ってきた過去へのノスタルジーに過ぎない。

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