教会へ初めて行った頃

 かたい決心と覚悟で姉の家を出たものの、思うようにいかない現実生活の前に、私はすぐに途方に暮れた。そして、私の意地に巻き込んで、馴れない印刷の仕事に苦労している母に対して、本当に心から申し訳ないと思い、毎日、焦りと不安のなかに苦しんでいた。そのとき、漱石の作品の中の「自分に真実に生きようとすれば、精神病院へゆくか、自殺するか、宗教に飛び込んでゆくか、しかないのだ」の言葉が、私の頭の内側で、ぐるぐると回っていた。深いためらいと、それを越える渇き求める思いで、偶然通りかかった道のかたわらに建つ教会の階段を二度目にやっと、初めてのぼった。

 そこで、生まれて初めて聞く聖書の話。すべては新鮮だった。同心円を描くように堂々巡りをくりかえしてきた私の思いを、別の角度から見る視点を与えられたように思った。通い出すと、教会の行事に欠かさず参加し、半年後、自ら願い出て受洗した。

 信仰の救いとは、外面の状況は寸分変わらなくても、そこでなお生きる者の内面を根本的に変え、希望や勇気を恵み与えられるものと思う。私も、その信仰の恵みのもとに半世紀の歳月を生きた。ただ、その間、キリスト教の多くを学ぶうちに、次第に主イエス・キリストの十字架の死と復活についての信仰理解の違いを覚えて、転会した。

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