地元の障害者の集まりで顔見知りになっていた人が、最近ひっそりと孤独死されていたことを知ったとき、なぜもっと早くから彼と親しく交わることをしなかったのか、と自分の不明が深く悔やまれてならなかった。重度な脊椎損傷で生まれた彼は、両親の離婚後置き去りにされ、母方の祖母の手で育てられたという。生来の温厚で実直な性格のため、周囲の人々に愛され、定年まで長く信用金庫の支店で働いたとのこと。松葉杖で脇深くを支えながら、初めて私たちの委員会に現われた彼には、一人で落ち着いた退職後の生活を暮らしている雰囲気があった。
その彼から、あるとき「実は生みの母親から、最近、一度会いたいと言ってきているが、率直にその気になれない。今さらという思いと、これまで世話になった叔母に対して悪いような気がして」との話だった。私は「年をとって、幼いときに別れた子どもに一目会いたいというお母さんの気持も分かる気がする。あなたもここは正直な気持で考えたがいい。もし、お母さんに会いたいと思ったからといって、叔母さんも悪いとばかりは言わないと思う」と助言した。このことも、その後どうなったか、聞かないうちに、彼は去ってしまった。本当に残念でならない。