いまは横浜に家庭を持った娘が時折、電話をかけてきて、母親である妻ととりとめもない話をすることで、ストレスを解消し、心を和ませ、気分転換をしているようで、結構なことである。若いときは、とてもこうはいかなかった。とくに多感な一〇代のころ母親と毎日のように他愛ないことで、激しく言い争っていた。母娘の女同士の相似た性格のゆえか、互いにどんどん言いつのり、そばにいる男性である息子や私たちが毎度、辟易してしまうほどだった。(それでいて、僅か数時間も経つとすぐに仲よく「このお豆、おいしいから食べない?」と食べ合っていた)
あるとき、母親と激しくやり合って、興奮した面持のままで私の前に来た娘は、詰問する実に強い語調で「お父さん、どうしてお母さんみたいな人と結婚したのよ!」と言った。しばらく娘の顔を見つめながら、私は静かに答えた。「こんな大事なことを、あなたに相談しなかったことは、お父さんが本当に悪かった」と。
遠い昔のことだから、娘自身は忘れているだろうが、父親としての私の希望は、やがて与えられるであろう子どもが成長して、同じように父親が当惑する質問をすることのないように育ててほしいということである。しかし、歴史は繰り返すか。