ながーい祝電

 短い手紙の文を「電報のような」というが、私は、いままでに一度、「手紙のような」祝電を打ったことがある。これだけ電話やメールが普及しているのに、ツムジ曲がりなことなのだが、それがそのときの私の気持ちを伝えるのに最もふさわしいと思ったからに違いない。こちらの気持を伝えようとする内容は、ときに手段を選ぶ。

 「この度の栄進を心からお祝い申し上げる。生来、競うことをいとい、社会での栄進を望まず、ひたすら家族と郷土を愛し続けてきた貴君が図らずも、多くの方々に推されて、いま、嵐の中の大樹を支える肝要な役に用いられるとは、なんたる矛盾、皮肉。だから世の中、面白い! 自重して、その新しき任を努められたし。

 いまここに深く残念なることは、『〇〇、なかなかやるなぁ』という言葉を胸中に秘めつつ、そしらぬふりで心から喜ぶ貴君のおやじ殿が、すでにこの地上におわさぬことだ。そのおやじ殿に代わって、あえて言わしてもらおう。『おめでとう。〇〇、よかったな。おごらず、じぶんらしくやれ』。心身のご健康に留意され、ご活躍されんことを二〇〇三年七月一日 団子坂住人」大学時代を拙宅で過ごし、新入社員から始めた妹の息子も、いま、定年退職後のボランティアで忙しい。

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