文字を知る

 「就学猶予」という形で公教育から疎外された子どもの私が、知識を得るための文字を初めて知ったのは、ツミキ遊びの積み木の表に書いてある「ひらがな・カタカナ」の文字だった。日常生活で知っている品物の絵のわきについている文字だから、私はすぐ憶えてしまい、親たちが買ってくれていた絵本や童話を読み出すのに、たいして時間がかからなかった。そして徐々に憶える漢字も増えて、さまざまな本を読み、幼い知識慾を満足させていたのだが、日頃は比較的おとなしい性格の私なのに、時折、理由も分からず激しく苛立ち泣きじゃくって騒ぐことがあった。目に見えない社会の壁で、障害児の自分を冷たく疎外するものに対する精一杯の怒りや悲しみをこめた抵抗であったのかもしれない。ある夕べ、私が部屋の隅で泣き騒いでいると、ちょうど遊びに来た親戚の大学生の若者が様子を聞き、私をおぶって近くの墓地に連れていった。墓石の端に私をおろすと、並んで腰をかけて「勉強したいなら、ボクがいくらでも教えて上げる。でも大事なのは、気持ちを明るく持って生きていくことだよ」という意味のことを言った。
 その後学徒出陣した彼は、南方の島で戦病死した。戦争は初めて私に教育的配慮をしてくれた唯一の人を奪った。

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