カルタ取り

 谷中に住んでいた頃、正月、わが家に近所の子どもたちが集まり、よく百人一首のカルタ取りをしていた。幼い坊主めくりもしたが、だいたいは「源平」に分かれてのカルタ取りで、高い調子で読み上げる母の読み手が好評だった。他に楽しみの少ない時代、ミカンやカラ付落花生などの景品ぐらいでも夢中になって遊んだ。貧しい小さな家が並ぶ町だったから、せまいわが家も恰好の正月の楽しみの場所だった。ただ、いつも怖い顔をしている父が在宅のときは、絶対しなかった。別段、子どもは叱られた記憶がなくても、時々、癇癪を起こしたときのけわしい空気を感じていたので、わきまえていた。その父はいったん出かけると、いつも帰りがおそい。それを見越して、ある日の夕方、遊びに皆が熱中していたとき、思いがけず、特徴のある足音をさせて父が帰ってきた。瞬間、みなの表情がひきつり、その場が凍りついたようになった。しかし、年長の青年がとっさに乾いた声で「お邪魔しています」と挨拶すると、父はおだやかに「いらっしゃい」と答え、少ししてまた、どこかへ出かけていった。怖い、怖いと思いこんでいた幼い私には、拍子抜けした気分だったが、やがて自分がその時の父の年代になってみると晩年の父の心の底にあった思いはどうだったろうと想像せずにはいられない。

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