Kという若者

 私の子どものころ、近所にKという大工の若者がいた。四角い顔の、素朴な性格の彼は、やさしく親切で、一日の仕事が終わると、いつも近所の子どもたちを自転車のサイドカーに乗せて、夕方の町内を一周してくれた。すると必らず、小柄な棟梁の父親が「タイヤが減るからやめろ」と怒鳴っていたが、気にもせずに走ってくれるので、子どもたちは、両頬にあたる快い風に歓声を上げていた。その彼がギックリ腰か何かで何日間か、仕事を休んだとき、彼の母親がママ母であることを初めて知って、子どもながらにちょっと心を痛めた。私の姉が結婚し赤ん坊が生まれ、風呂場の改修が必要になると、離れた隣り町からすぐ毎日自分の仕事を終えた後通ってきて、黙々とハダカ電球の下で作業をしていた。気の毒がる母や姉に「楽しんで来ている」と屈託なく言った。やがて彼にも赤紙が来て、それを伝えに来たとき、こちらが気になるほど自分の家に帰ろうとしなかった。入営して、いよいよ品川駅から出発する日、母と姉が見送りに行ったが、家族の誰の姿も見なかったという。一度、彼らしい無骨な文字で簡単な軍事郵便ハガキを受け取った記憶があるが、その後、彼は南方戦線に向かう途中、魚雷攻撃で、船と共に海底に沈んだという。

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