「のために」と「とともに」

 何年か前、日本キリスト教協議会(NCC)「障害者」と教会問題委員会で、韓国の障害者との相互理解と交流を求めて、ソウルを訪問した(以後隔年毎に訪問をし合っている)際に、韓国には、それぞれ障害者別の(専用の)教会が設けられていることを知り、いろいろ考えさせられた。早速、テレビのインタービューで「日本ではそのような教会はなく、障害者とともに在る教会をめざしている」と語ったが、「のために」と「とともに」の違いは大きい。その後、日本でも、ある障害の人々が専用の教会をつくる計画があると聞いたが、基本的には変わらないと思う。

 確かに、伝道の効率からいえば、障害者別の教会の方がよいことと思うが、果たしてそれが聖書の教える信仰にふさわしい教会形成になるのかどうか、軽々しく判断はできない。ただ少なくとも、すべての者に開かれた教会と教えられている以上(そこに実際的には幾分かの配慮を必要としても)やはり「とともに」の教会が望ましいのではないか。障害者である私自身、約五〇年近く一つの教会の教会形成に与かってきた。その間役員会等の奉仕に参加させていただいてきたが、現在は一切の責任から退いた。いまは教会の皆様の寛容と忍耐を感謝するのみである。

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