合祀を思い立って

 のどかな春の日の午後、母親の小さな墓の前での独り語り。

 「ずっと一人でおらるるけん、さぞ寂しかろうと思うてきたんで、幼なかとき亡くなった綾子(姉)や昭三(兄)その他の遺骨ば、九州から持ってきて一緒にしたら、にぎやかになってよかろうと思うが、どうじゃろか。もともと狭いところだから、ちょっと大変じゃろうけど、私も年をとって九州まではもう墓参に行けそうもなかけん、この際思い切って田舎のお寺に預けよる遺骨だけでも寄せておいたら、よかろうと思うたですたい。いくらよかことと、自分では思うても、前からおらるる方の意見をよう伺わにゃ、失礼と思いますけん、お尋ねするとですよ。そしてですね、姉兄の遺骨と一緒に親父の遺骨も共に持って来たかと、私はひとりで思いよっとですたい。

 親父が亡くなって今年でちょうど七十年。それを覚えて合祀したいと思い立ったことでもありますたい。生前散々、結婚直後から苦労をかけられたんで、必ずしも親父に好感を持っておられんこつは、子ども心によく知っとりますばってん、そのことはもう許して上げなさらんの。私たちの墓碑に刻んだ『空の鳥、野の花を見よ』と語られたイエス・キリストさまは、人々に愛と赦しを熱心に説かれた、とよ」。

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