途上に耐える

 洗礼を受けて、一時は本当に喜んで共に教会生活を続けていた方が、何かにつまずいてふっと来られなくなったりすると、実に深く残念でならない。それなりの理由があってとは想像するが、神と人との前で忠実に教会生活を守ると誓ったあの『誓約』は、どうしたんだろうと思う。

 人間の集まりの一面を持つ教会が、天国のようでなく、いろいろと問題があるのは当然だが、ただ少なくとも神の救いと愛を示されたイエス・キリストを心から求め信じる一点では、みな一致していたはずなのに。一般的に聞く日本のクリスチャンの平均的持続期間が二年少しということと思い合わせ、真に寒心に耐えない。

 見えない方の消息を心にかけても、踏み込んではならない個人の領域があるし、あえて訪ねていっても、みずからの限界を弁えれば、やはり、この壁の前で、ひたすら覚えて祈ることだけが与えられた唯一つの「とりなし」と思える。(恵みのこの「とりなし」を怠る日々!)

 教会がいますぐ「天国」でないと絶望し、信仰による希望への「途上に耐える」ことを諦めた方々に、もう一度、共に歩もうと声かける熱い思いを与えられたい。私自身、教会での予想もしない経験を通して、「教会でつまづいたことは、教会でしか解決する方法はない」と深く思い知らされたから。

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