以前、重度障害者の施設を視察した或る知事の「この人たちに人格はあるのかネ」との発言が伝えられた後日に、私は一教派の神学校校長の方から次のようなお話を直接うかがった。「重度障害者施設を見舞ったとき、神学生に、目の前に横になっているひとりの人の耳許に声をかけるようにと勧め、それをすると、彼は顔面の皮膚を動かして明らかに反応を示し応えた」。神学生の挨拶の言葉に応えた彼の反応こそ、人格の表われではないか。人格と人格との交わり。響き合う「いのち」の交わり。コミュニケーション。それは、真実で率直な言葉に応え合うことから始まると思う。
しかし、私たち自身の中に、真実で率直な言葉を交わし合うことを容易にさせない、心理的な壁がある。それは多くの場合、自分自身の心の中に刻みつけてきた過去の価値観や現実の生活の中で持つ利害得失の思いによる。或いはまた、根拠のない他者への優越感、そしてそれを裏返しにした劣等感が、私たちを真実に響き合う「いのち」の交わりを始めることを妨げる。その「いのち」へ導き出される力こそが、キリストの福音の力ではないのか。愛と和解のためになされた十字架の犠牲と復活。そこに新しい「いのち」がこもる。