教会での献金のこと

 半世紀前、当時所属していた教会で、S兄という非常に個性的な信徒の方と出会った彼は熱心な信仰に燃え、聖書の言葉通りに、十分の一の月定献金を志した。しかし、大手の印刷会社に勤めていたとはいえ、育ち盛りの四人の子どもを持つ状態ではすぐに家計が苦しくなった。そこで信頼する長老の一人に相談したところ「その気持ちは大切だが、それは無理だから、せめて一ヵ月の三〇分の一、一日分を献げることにしたらどうか」と助言したという。その後助言通りにしたかどうかは、知らないが、献金のことを考えるとき、私はいつも彼のことを思い出している。

 また、若い私が何かの拍子に正直に「いま、とてもお金が欲しい」と言うと真顔になって「それならば先ず、神さまに献げることだ」と断言した。ちょっとおどろいて「それでは、神さまと取り引きしているようではないか」と反問すると、さらに「神さまに真剣にお願いするならば、人間の側も真剣さを示さなければならない」と強調した。

 やや主観的思い込みの強いキリスト理解には閉口したが、観念的宗教でなく、リアルな生活感覚をもった信仰には、私は少なからず親しみを覚えていた。いつしか長い歳月が過ぎて、現在の彼の消息を、私は杳として知らない。

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