叔父たちの配慮

 これからの長い人生を身体障害者として生きなければならない私を、母方の叔父たちは(父方はすでにみな死没していた)いろいろ案じてくれていた。九州に疎開していた一六、七歳の頃、東京のひとりの叔父から「文章を読むのが好きならば、どこかマイナーな国の言語を勉強して、翻訳で暮らすことにしたらどうか。もし、やる気があれば学習書やテキストを送るから」と手紙をくれ、実際あまり知らない国の読本などを送ってくれた。一見してまったく見当もつかないページの連続に、すっかり熱意も関心も失い、「語学の独学は無理」と早々に諦めて、せっかくの配慮をフイにしてしまった。

 それでいて自分の将来のことを考え、不安と恐れの思いに駆られ、陰欝な顔で過ごす私の様子を察して、近所にいたもうひとりの叔父が、あるとき、こんなことを語ってくれた。対局していた碁盤を前に、座った位置から少し外れて座布団を動かし、「いままで直角に置いていた座布団も、ちょっと斜めに置けば、また、多少違ったように見えるものだ。君のいまの見方だけがすべてと思わなくていい」。

 さりげなくいろいろと心配してくれていた頃の叔父たちの年齢を遥かに越えた年代を生きているいま、私はあらためてこの叔父たちに感謝せずにはいられない。

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