親子の絆

 「障害者問題」は同時に「障害者の家族の問題」であることを、最近あらためて痛感した。私は子育ての最中は、生活を支えるために、稼業に精を出していたから子どもの心情については、殆ど何も知らなかった。

 それが時折、その当時のことを思い出して妻から娘のことで「小学校時代、学校で障害者の父親のことを言われて、泣いて帰ってきたことがあった」と聞き、複雑な感想を持った。そんな辛い思いの子どもたちのために懸命に働いていた私の日々であったかと考えると、人間的に深く空しい。さらに「自分のことより、親のことを言われる方が悲しい」との言葉。そうした思いの時らしい娘の発した一言を確かに私も憶えている。「夫婦は自分で選ぶことができるが、親子は自分で選ぶことができない」。全くその通りで、誰でも一回かぎりの地上の人生の、不本意に思える原因を出生に求める場合、こうした考えにゆきつくのでないか。だからもし、親子になることを、夫婦の時と同様に自分で選ぶことができたら、主体的で良心的な魂の持ち主ほど、親子ともども懐疑的になり、やがてその選択を断念するのではないかと思う。障害者の父親のために流した娘の涙が、この断念の壁を越えて神の愛に気づく機会となるように。

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