爆弾が身近に落ちた!

 一九四五年三月四日、私は不忍通りに面した本郷の千駄木町に住んでいた。当時、姉の夫が出征していたので、二人の幼い子どもを抱えた姉一家と共に暮らしていたが、当日朝八時頃、空襲警報のサイレンが鳴って間もなく、ヒュルヒュルという爆弾の落下してくる音が聞えた。家の中の廊下の下に作った防空壕に、みんなで入っていたが、すさまじい炸裂音と共に壕の内側の土の壁が崩れ出した。瞬間、生き埋めになる!と思ったが、入口近くにいた母の機転で、壕の蓋を開けることができ、全員這い出すことができた。しかし、そこで目にした光景は、生涯忘れない。 家の前の道で爆発した爆弾の強烈な爆風が家のまんなかを吹き抜けたらしく、少し前までキチンと並んでいた家具や調度品が乱雑にひっくりかえり、これが自分の家のいまの様子かと認めるまでに時間がかかった。でも部屋の隅に、私の生まれる前から我が家にあったドイツ製の柱時計が無惨な姿で落下しているのを見つけて、ようやく現実の状況を気持の中で理解できるようになった。そのとき、真向いの家の息子ががれきの中から引き出されているのが目撃された。顔色は真っ白で生きていたか死んでいたか分からない。戦争末期の東京の一瞬のできごとである。

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