富弘美術館にて

 晩秋の一日、上州路を観光バスに乗って、きれいに改装された「富弘美術館」を訪ねてきた。車窓から眺める途中の渓谷の紅葉も美しく、予想より随分奥まった場所にあるとの印象を持った。それでも広い駐車場が用意されているのだから、来訪者は全国各地からかなり多いらしい。ゆっくり歩きながら見た絵は、どれも作者の個性を感じさせてすばらしかったが、一緒に見て回った人たちのちょっとした感想が耳に残った。

 「こんな詩画を口にくわえた筆で書くとは、すごい」「もし、富弘さんが障害者にならなかったら、こんな作品は一つもなかったことだろう」

 こうした常識的な言葉を聞くと、語った人の心の底の言葉にならない思いが感じられる。たとえば、絵や文字は普通手で書くものだから、それを口にくわえた筆で書くとは感心だといった感想は、作者の決して求めるものではないと思う。また「障害者にならなかったら…」との言葉も、逆に思いがけない現実を単純な運命論的な発想で割り切ってはならないことを感じさせる。障害者として生きる者も、ただ一度の地上の「いのち」をいかに生きるかこそ、根本問題なのである。そこで、絶対他者としてのキリストの愛と招きをどう聴くかが、生き方の分かれ目となる。

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